大阪球場

 学生の頃、大阪球場でバイトしていた。当時の球団「南海ホークス」のナイトゲーム後の清掃の仕事であった。箒で掃いたゴミをすり鉢状に落とし、そして、すり鉢状に追いかけるだけの、単調な仕事である。
 応援団の席の床からは麦酒の匂いが漂っていた。貧乏学生の身分で、せいぜい、トリスを何かで薄めるしか酩酊の機会の無かった私は、コンクリの床から立ち上がる麦酒の匂いに酩酊を夢想しながら、すり鉢のスタンドを下に降りた。
 応援団の席を過ぎれば、箒で掃くのは限りなく透明に近い塵しかなかった。誰も座らなかったはずの大阪球場の塵が一体どこから飛んできたのかと、ミナミの上空を見上げた。街の喧噪は、自動車の音しか聞こえない時間だった。
 朝を迎え、仕事を終え、おばちゃん二人組の住むスタンド裏のテントに向かった。黒く焼けた顔のおばちゃんが生活感のある手つきで千円札を数え、私に七枚渡してくれた。
 日当を得て球場を後にしたら、南海そばか、マクドナルドで、朝食を食べたい気持ちもあったが、我慢してまっすぐ南海電車の改札口に向かった。
 授業の開始に間に合い、点呼を終えると、机に伏し、眠りについた。夢を見る体力もなかったが、机に流れた唾液の匂いで、授業を終える前には目が覚めた。



バラックの故郷

 私の祖父母は韓国から日本に渡ってきたとき、最初に住んだのは、大阪市西淀川区の出来島だった。そこで私の父も生まれたが、その後すぐに、祖父母家族は、西へ数キロ移動し、尼崎の武庫川の東に居を構えた。
 今は、当時の地名もなくなっているので記すが、元々、同和地区でもあった上に、沖縄、奄美の人たちも多かった。私は朝鮮半島をルーツに持つ人間だが、同じ長屋には、いろいろなルーツを持つ人たちがいた。
 在日だったが、あぶらかすも食べてきたし、沖縄まんじゅうも食べてきた。要するに、日本のマイノリティの集合体の中で生きてきた自負はある。
 武庫川は、もともと大阪から見て、向こう側にあるから武庫川と名付けられたのが語源と云われている。同じく六甲山も向こう側にある山として、武庫山といわれていたのが六甲山に変化したと云われている。
 私は武庫川で生まれ育ち、成人前から千里在住である。祖父母や親父とは反対に、逆ルートで、神崎川そして淀川を越えてきた。
 けれども、祖父母と親父、私も移動したのは、昔で云う大阪・摂津国の中でのことである。
歳を重ねると郷土愛も深まる。楽しいだけでなく苦しみや悔しさも、色々な記憶が交錯されている人生すべてが大阪・摂津国のことであるという事実が、なぜか祖父母や親父が側にいてくれる気がして嬉しくなる。

http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/04kindai/photo/kindai4c1-02.html

http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/04kindai/kindai4-1.html#kindai4-1-05

http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/04kindai/kindai4-c1.html

吹田の泉

 私が住む自治体、吹田市とは統一感のない街でもある。
北部には千里ニュータウンが広がり、かつて大阪万博で賑わった跡地は、エキスポランドを経て、エキスポシティという観光地にもなる巨大なショッピングモールが存在している。そして大阪を代表するサッカーチームであるガンバ大阪のホームタウンも吹田市北部にある。また吹田市北部には日本で一番最初に自動改札機を導入した「北千里」があり、その地に代表されるようにニュータウンの景色が広がる。
 しかし、そのように北部に代表されるイメージとは異なる風景を、数多く吹田市は持っている。
 関西の私大のシンボルである関西大学のある「関大前」の付近は、ひょっとして日本最大の学生街でなかろうかと思われる長い街並が存在している。居酒屋から古本屋、ファーストフード店、学生相手だけで需要を賄う街並には、私の自宅の近所でありながら、足を運ぶには躊躇してしまう。
 運動をしていた私に幸いだったのは広大な千里の丘陵であった。上り坂、下り坂、起伏の激しい街並を走り込みながら、私の心肺は心拍数の上限に幾度も迫った。
 縦長の吹田市の地形に応じて、東からJR、阪急、地下鉄と三つの路線が走っている。吹田の都心は当然、地下鉄御堂筋線の「江坂」駅である。巨大なビル群が高架の駅を鋏み、ハンズを中心とした商業ビルも多く、またスノップな若者たちが開く店も多く、大阪に新しいムープメントを起こしつつあるが、私にとって江坂とは、恩師とともに酩酊できた街でもあった。酔いつぶれふらつく恩師を支えながら、自宅まで送った。普段は怖く遠い存在の恩師も、その時だけは、不肖の弟子である私が支えていられる喜びを感じた。
 私が普段呑むのは、一番東のJR「吹田」駅である。駅の地下には扉のない暖簾だらけの立ち飲み屋の風景が、まるで立ち飲みテーマパークのごとく存在している。
 かつて、イギリスの田園都市を見本にした「千里山」というセレプな街のイメージの意を借りて、その地の隅っこに終の住処を選んだ私であるが、所詮、尼崎の長屋育ち。吹田市南部の庶民的な風景が地元の人間として誇らしくもある。
 地元のアサヒビールの工場のそばに、泉殿宮がある。泉の神様であり、アサヒビールの源泉でもある。この神社を初詣の場所として決めて、幾つ鈴を鳴らしただろう。