土着建築

 子供の頃、鍵っ子ではなかった。というのは、鍵など持たずとも、長屋の引き戸に手を添えば、自分の家に入る事が出来たからだ。もともと、私たちの長屋には鍵をかける意識が希薄であった。
 ある時、引き戸を左に引くと、上がりかまちの向こうの台所に、近所のおばさんの姿が見えた。おばさんが「○○ちゃん、卵借りるで」と冷蔵庫を閉めながら、私に告げて出て行った。
 
 私の長屋はトタンの外壁だったので、当時の安い建築資材であっただろうが、幸いだったのは、トタンが焦げて、焦げたトタンを照準にした私の長屋は、見事にボロ屋敷と化していた事だ。
 伝統住宅ではないものの、私は時間に応じて、色の変わった自分の家に対して、土着建築(バナキュラー建築)の類いの端くれとしての愛着を感じる。

 色あせない事を題目として、世界中で、安価な条件のもと、その土地の風土とは関係のないグローバルな建築の街作りが主流になっているが、私は子供の頃、トタンを作る職人の顔は知っていたので、トタンという安価な建材に対しても、土着的な風土は感じることは出来た。

 トタンの原材料さえ知らないが、トタンを作る人のことは知っている。広義で云えば、それも土着建築なのだろうか。

 大阪も郊外を中心に、同じような建売住宅の集合体が、一つの街となり、そこに集う人たちも世代を越えた月日を数えるだろう。
 そのとき、子供の頃から住む家が、色あせ、痛むことがあれば、そこで育った人たちの記憶は幸せなのではないだろうか。

 土着建築であろうとも、なかろうとも、人の記憶の重なりを、家が何らかの方法で醸し出すならば。



 

 
 
 

ミナミの喧噪

 ここ数年、ミナミの喧噪の言語の大多数は中国語や韓国語に変わったのは確かだ。また繁華街のコンビニやドラッグチェーンの店員にも中国人が増えてきたような気はする。街を歩いても、店に入っても、もはや大阪人だけの街で無くなったミナミを実感する事は多い。
 古くからのミナミの店主たちに、そういう現状を嘆く人は多い。またミナミを現実逃避の場所として求めてきた大阪人たちの中にも、最近は、どこかミナミは観光客が騒がしすぎて避けたいという気持ちが出てきているようだ。
 
 子供の頃、父親が宗右衛門町の韓国のサパークラブに、堂々と私たち家族を連れて行った事がある。チョゴリを纏ったホステスの衣装と片言の言葉に、幼心は軽い緊張を覚えつつ、「わしはまだ呑むから先に帰っといてくれ」と母親にタクシー代を渡した父をおいて、母親と姉と一緒に店を出た。
 貧しい在日長屋の中で育った私にとって、めかしたチョゴリや片言の日本語の韓国の女性たちの記憶は、非日常で、どこか性的な何かとして4歳の私には軽い衝撃であった。
日本に住んでいるけれど、日本人ではない。けれど韓国のチョゴリは滅多にみないし、韓国語は分からない。そんな私が、本当の韓国人に対して外国人と出会った混乱と違和感を抱いた後、母に頼んで、うどん店に入った。
きつねを噛んだ後、染み出た味覚に、ようやく安堵感を覚え、気持ちを落ち着けた。

 私も子供の頃からミナミを日常の負荷の癒しの地として求めてきた。大阪弁の喧噪の中で癒されてきた私であるが、街に聞こえる感情の表出は中国語が主流になった。
 しかし、ミナミという桃源郷に驚き童心に戻ったようなはしゃぎ方をする中国人や韓国人たちをみるにつけ、もはやミナミは、私たち大阪人だけの桃源郷ではなくなったような気はする。
 私たちオールドカマーこそ、ニューカマーを否定しがちだが、私たちが何世代も憧れた大阪の魅力に、ニューカマーたちが惹かれ夢中にならないわけもない。
 ミナミは大阪の誇る桃源郷であるが、アジア人にとっての憧れの場所となりつつある。彼らも、観光客であれ、ニューカマーであれ、そのはしゃぎぶりの騒々しい喧噪は、月日と回数を重ねれば大阪の静かな風土と同化するはずだと信じている。

 
 


Lil Rudy Rul の生きた街

 星野リゾートの新今宮の用地買収が話題となった。長らく謎の空き地の上空には何もなく、いくつかの大隅アパートの生活感に焦げた建物が、ごく近い蜃気楼として漂っていた。そんな地を開発する真意は分からないが、決して、突飛な考えでもなく、新今宮の魅力と可能性、そして地域への貢献をそれなりに考えたものではないだろうかという期待もある。
 
 18歳のときから新今宮は馴染み深い街であったが、数年前、Lil Rudy RulのPVに映った新今宮の風景に心が動いた。故郷の西成の湿地より、遥かに高い台地の病院で生まれたことを最初の口上として、新今宮の汚れきった美しい街並とともに、Lil Rudy Rulのまだ幼い青春の遍歴が唄声とともに響き、それは、薫習という言葉そのままに、私の心に響いた。

 西成を属性とするLil Rudy RulのPVには、西成以外の街がいくつか出現する。それはLil Rudy Rulの西成のメタファーとしての、別の西成でもある。あるいは、その別の西成が、Lil Rudy Rulの西成的世界を色付けしている。
 そのメタファーには、北区の長柄のさざなみ団地、あるいは夜のアメリカ村が用いられる。大阪市内を縦断してLil Rudy Rulの記憶と世界は存在している。

 それは西成を唄うLil Rudy Rulの隠喩的な風景であろうが、同時に、萩茶から千本、津守、いろいろな街の匂いを持つ西成の十色で育ったLil Rudy Rulの包括的な世界なのではないかと私は思った。