土着建築

 子供の頃、鍵っ子ではなかった。というのは、鍵など持たずとも、長屋の引き戸に手を添えば、自分の家に入る事が出来たからだ。もともと、私たちの長屋には鍵をかける意識が希薄であった。
 ある時、引き戸を左に引くと、上がりかまちの向こうの台所に、近所のおばさんの姿が見えた。おばさんが「○○ちゃん、卵借りるで」と冷蔵庫を閉めながら、私に告げて出て行った。
 
 私の長屋はトタンの外壁だったので、当時の安い建築資材であっただろうが、幸いだったのは、トタンが焦げて、焦げたトタンを照準にした私の長屋は、見事にボロ屋敷と化していた事だ。
 伝統住宅ではないものの、私は時間に応じて、色の変わった自分の家に対して、土着建築(バナキュラー建築)の類いの端くれとしての愛着を感じる。

 色あせない事を題目として、世界中で、安価な条件のもと、その土地の風土とは関係のないグローバルな建築の街作りが主流になっているが、私は子供の頃、トタンを作る職人の顔は知っていたので、トタンという安価な建材に対しても、土着的な風土は感じることは出来た。

 トタンの原材料さえ知らないが、トタンを作る人のことは知っている。広義で云えば、それも土着建築なのだろうか。

 大阪も郊外を中心に、同じような建売住宅の集合体が、一つの街となり、そこに集う人たちも世代を越えた月日を数えるだろう。
 そのとき、子供の頃から住む家が、色あせ、痛むことがあれば、そこで育った人たちの記憶は幸せなのではないだろうか。

 土着建築であろうとも、なかろうとも、人の記憶の重なりを、家が何らかの方法で醸し出すならば。