『祖谷物語―おくのひと』

『祖谷物語―おくのひと』を観るには、いささか体力が必要であった。
その上映時間の長さもあったが、それ以上に、言葉なき映像がつなぐ壮大な映像の叙景を、拙い私の感覚の検知器が読み取るためには、多少の時間差も要する。理解しようとしても疲れ、理解しようとしなければ、意味は分からないが、感覚は分かる。そういう映画であった。
 この国に残る奇跡のような自然美の風景は、実は限られた面積の中の小さな幻のような地であったとしても、何故か、多くの外国人が、日本のこの場所を選択する。この地の美しさに惹かれた多くの外国人の代表として著名なアレックス・カー氏らしき人物像のキャストも登場する。しかし描かれる人物像は、その地にとって敵か見方か曖昧な立場として答えのない役割を担っている。
 幻想的な風景は、逆に物語の生活感とともに進行していくが、ヒロインがその地を捨て、東京に出た後の光景は映画の色を一変する。しかし、祖谷の風景とは対比した都会のどぶ川の風景を借りて映し出されたヒロインの憂いは、故郷の地とつながる琴線でもある。
 疲れたヒロインが、その地に戻った後は、幻想的な風景が、一転した抽象的な概念とともに演出されている。
ヒロインの故郷喪失者としての痛みと再生への渇望が、長い映画を見終えた余韻の中に浮かび上がった。